日光金谷ホテル

第1回:運命的なヘボン博士との出会い

日光という場所は、徳川家康が東照宮に祀られるようになると、多くの参拝客を集めるようになります。元和2年(1616)に永眠した家康が遺言通り、翌年御遷された後のことです。

その東照宮が幕末を迎える頃、楽職に金谷善一郎という人物がいて、笙(しょう・笛の一種)の役を務めておりました。

明治時代の声を聞いて3年目のある日、善一郎は宿探しで困っていた外国人を見つけます。当時、旅館の経営者たちは外国人に対して警戒心を抱いていましたが、善一郎は全くの親切心でその外国人を自宅に泊めました。ところが、その行為によって、善一郎は東照宮から破門されてしまいます。

この事件は金谷家にとって運命的な出来事でした。その外国人とは、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン(ジェームズ・ヘプバーン)博士だったのです。彼は横浜に住み、外国人のための和英辞典を発行するなど確たる地位を築いていました。彼は善一郎に言います。

「今後、日光を訪れる外国人が増えますよ。ことに夏は、暑い東京や横浜から逃げてくるでしょう。来年は友人たちを連れてくるから、出来るだけ部屋を用意して家計の助けにしたらいいでしょう」

こうして善一郎は、日光金谷ホテルの前身である金谷カッテージ・インを開業します。明治6年(1873)のことです。そして20年後、洋室30室を備えた日光金谷ホテルを開業するのです…。(続く)

日光金谷ホテルの絵はがき

日光金谷ホテルの絵はがき

パンフレット

戦前に発行された日光金谷ホテルのパンフレット。ホテル下の大谷川に架かる神橋と華厳の滝が表紙に描かれています。なお、金谷カッテージ・インは今日「サムライハウス」として現存しています(ただし、いまは老朽化のため非公開)

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